はぐれの徒然なるままに(仮)

肩こりと老眼が進行中の中年男性による回顧録

怪奇小説と推理小説の違いとは?➁

前回のブログでこんな事を書きました。

怪奇小説は、話の内容が破綻しないかぎり、どんな結末でも認められます。
でも、怪奇小説の作品の中には、事件が起り、
登場人物が推理・捜査をしますが、話の展開がどんどん異常になり、
推理・捜査したことが無意味になり、結末を迎えるパターンもあります

その様な作品で、
自分の中で印象深い作品は、江戸川乱歩の「地獄風景」

あらすじを簡単に説明すると、資産家の自宅で殺人事件が起ります。
刑事が捜査を開始するのですが、
関係者全員が「資産家が作った遊園地」に行く為、
刑事もその遊園地に行きます。
しかし、そこでも殺人事件が起き、刑事は捜査するのですが、
捜査を進めて行くと、その遊園地の異常さが判明していき・・・
という内容です。

「地獄風景」に出てきた刑事は、何故、事件を解決できなかったのか?
それは、彼の周りの環境が目まぐるしく展開していく事により、
彼自身が翻弄され、事件全体を分析できない状況に置かれたからです。

逆にもしこの刑事が事件を解決するには、どういう条件が必要でしょうか?
多分、以下の条件になるでしょう。
・彼の周りの環境が目まぐるしく展開しても、彼自身が翻弄されない。
・事件全体を分析できる状況を、自ら作りあげれる事。
この2つの条件があれば、刑事は事件の全貌を把握して、犯人を特定して、
事件を解決できたでしょう。

つまり、小説の中で起きた「事件」は2つの条件を持つ人物が登場すれば、
事件が解決するのです。
小説内の登場人物で、2つの条件を持っている人物。
それは、「探偵=主人公」しかないでしょう。

次回は「推理小説の探偵」について、妄想していきます。

地獄風景 江戸川乱歩