この設定は簡単に説明すると、探偵が事件現場を調査するのではなく、
事件の情報を元に推理して、事件を解決する設定です。
ハリイ・ケメルマンの短編集「九マイルは遠すぎる」は、
「安楽椅子探偵」の代表的な作品です。
この短編集には、表題作の「九マイルは遠すぎる」を含めて、
計8編の短編小説が編集されています。
この短編小説に共通して登場するのが、主人公の群検事(自称:私)と、
その友人であるニコラス・ウェルト教授。(略称:ニッキィ)の2人。
8つの短編小説に共通する話の流れとしては、
主人公の【私】と友人【ニッキィ】との会話という形で話が進みます。
さて今回、再読してみると、
この短編集の表題作である「九マイルは遠すぎる」は面白いのですが、
他の短編小説に関しては、あまり面白くなかったと感じてしまいました。
似た様な設定のクリスティーの短編集「ミス・マープルと13の謎」は、
再読しても面白かったのに何故でしょうか?。
なので、この2つの短編集を比較してみました。
まず「九マイルは遠すぎる」に編集されている短編小説では、
主人公の【私】と友人であり、探偵役の【ニッキィ】。
この2人の会話で小説は構成されてます。
つまり、小説内ではこの2人は【探偵と助手】の役割を受け持っています。
なので、この「九マイルは遠すぎる」に編集されている小説は、
事件を理解した探偵に助手が質問をくり返すという形式になります。
では、「ミス・マープルと13の謎」の場合はどうでしょうか?。
前回のブログで書いてみましたが、
ミス・マープルのシリーズは、群像劇に近い形で話が展開します。
なので、ミス・マープルは、周りの人物と質疑応答しながら、
事件を把握していきます。
つまり、「ミス・マープルと13の謎」に編集されている小説は、
探偵が周りの人物と質疑応答をくり返す事で、
事件を理解する形式になります。
今回、2つの短編集を比較してみて気づいたのですが、
事件を理解した探偵に助手が質問をくり返すという形式は、
自分とは相性が悪いという事に気付きました。
本来、推理小説の助手は読者に対して、
「探偵が何を言いたいのか?」を、分かり易く伝える為の存在です。
でも【探偵に質門する助手】という形式は、授業内容がよく解らなくて、
【先生に質問をくり返す子供】みたいだと、思ってしまうのです。
だから【九マイルは遠すぎる】は、再読しても面白くなかったのか?
この2つの短編集を比較しながら、
そんなどうでもいい事を、妄想してしまいました。