はぐれの徒然なるままに(仮)

肩こりと老眼が進行中の中年男性による回顧録

江戸川乱歩の「芋虫」を再読したら、思い出した事。

今回は、江戸川乱歩の短編小説「芋虫」について書いてみます。

でも、この小説の内容でありません。

この小説を読んで思い出した事について書いていきます


今から20年くらい前なのですが、

江戸川乱歩の人生を取り上げたテレビ番組がありました。

「お?江戸川乱歩が特集されている!」と思い、番組を視聴しました。

そして、番組の終盤に江戸川乱歩の【芋虫】が取り上げられました。

その番組では、江戸川乱歩の【芋虫】は戦争の悲惨さを伝えた小説だ。

と、ナレーションされて、スタジオにいるコメンテーター達は、

しかめっ面で頷きながら、戦争の悲惨さを語って番組は終了しました。

当時の自分は「芋虫」を読んでいませんでした。なので、

番組のその部分に関しては「そんな小説があるんだ」程度の感想でした。


後日、本屋で購入した「乱歩短編集」の中に「芋虫」があったので、

読んでみました。そしてこう思いました。

「あの乱歩の人生を特集した番組の制作関係者、

そして出演者達は、この小説を読んだ事がないだろう!!」


小説の感想なんて、読む人それぞれに違う感想になります。

でも、本当にこの【芋虫】を最後まで読んでいたなら、

【この小説は、乱歩が戦争の悲惨さを伝えた】という感想なんか、

出るわけがありません!

 

確かに「芋虫」に登場する人物のひとりは、

戦争が原因で両手と両足が無くなり、耳も聞こえない状態です。

でもこの「芋虫」を原作通りに映像化したら、
サディズムに目覚めた女性による、サディスティックな性的描写の為に、

間違いなく成人指定がつく内容です。

そして、その女性のサディズム的な心理状態が、

小説の主題になっています。そんな小説をどう読めば、

「戦争の悲惨さを伝えた」なんて感想になるのでしょうか?

 

「芋虫」という小説は短編小説ながら、

乱歩独自の世界観がしっかりと書かれている小説ですが、

同時に「あの、テレビ番組を作った人達は本当にいい加減だな~」と、

当時、感じた事を思い出しました。