はぐれの徒然なるままに(仮)

肩こりと老眼が進行中の中年男性による回顧録

「村」について徒然と書いてみた②

haguture.hatenadiary.jp*今回の記事は前回からの続きになります。

*画像は生成AIで作成した物になります。

前回の記事にも書きましたが、
時代劇に出てくるような通り沿いに農民が住む民家が複数あるのは「集落」であり、
【村】というのは『複数の集落がまとまった共同体』と考えた方が正しいと思います。
また、環境が違うことで「集落」それぞれの特色があるのですが、
その「集落」同士が交流をする事で周辺の「集落」でしか通用しないルールというのが出来て【村】になっていったと自分は思っています。
そして、自分が年配の人から聞いた話や子供の時に残っていた【村】の痕跡を見ると、【村】の住民は以下の様な環境で生活していたんじゃないか?と思うのです。

①「集落」の人間たちは全員同じ仕事をしていたので生活のリズムが全員同じ。

②人の移動範囲が狭かったので【村】の人間同士の婚姻が多かった。

というのも、自分が生まれた時には【村】から「町」に変わっていたのですが、
そんな時代でも『あんた、どこの子だね?』と聞かれた時、
自分が苗字を言うと『じゃあ、あんた、○○さんのお孫さんか!』とか、
『あの集落の子か!じゃあ、○○さん知っとる?あの人、わしの親戚なんだ』みたいな会話になることがほとんどでした。
つまり、【村】では人を判断する基準が、その人だけではなく、
その人の家族や親戚なども知っている前提で判断されるので、
『【村】とは、自分のルーツを知っている人達と生活する共同体とも言えるかも?』
と、考えていたら「カウンセリングの技法」という本の事を思い出しました。
補足:住んでいる地域の1950年の通婚圏のデーターを見ると、
約6割が村内同士の婚姻、3割が【村】と隣接した地域との婚姻でした。


 

*上記の本は1979年に発刊されました。

まず、「カウンセリング」とは、
臨床心理士と対話をする事で患者自身が悩みを解決するという治療法なのですが、
日本に「カウンセリング」の考え方が入った頃に書かれた、この本には、

【「これからの社会」は個人の主張や表現が尊重される社会になっていくけど、

裏を返せば個人は常に自己存在を主張しなければ社会から無視されてしまうので、
「カウンセリング」が必要になってくると書かれています】
でも、もしそうならば、【村】と「これからの社会」は真反対な存在と言えるのです。

何故なら、【村】では自己の存在を主張しなくても、

『○○さんの家の子だ』みたいに周りの人間が自分の事を知っているからです。
また、この様な環境は【村】の外から来た人達(移住者や結婚してきた人)から、
『数年、ここで生活して、やっと慣れてきた』と言われたりしたので、
こういう【村】の考え方は閉鎖的と言われてもしょうがないかな?と思っていました。
でも、【村】の考え方は本当に閉鎖的なんでしょうか?
というのも、自分には「都会」に住んでいる甥っ子と姪っ子がいるのですが、
そのふたりに『 BeRealというSNSてどうなの?やばくない?』と聞いたら、
ふたりとも『BeRealだったら、スマホに入れているよ』と言うのです。
なので、『え!何で?だって、あのせいで大問題が起きたじゃん!』と聞くと、
『だって、BeReal入れていないと、周りの子との会話にも加われないから・・・』
と返答されて驚きました。
なので、自分は【村】よりも「都会」の方が閉鎖的じゃない?と思ったんですけど、
実際はどうなんでしょうね?

www.nikkei.com*甥っ子たちと会話したニュースのリンクを貼っておきます

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*自分がいちばん好きな「インスマウスの影」にも【血縁関係が近い親族同士で行われた婚姻】の設定が使われています。

あと、ここからは蛇足になりますが、

昔の【村】は人の移動範囲が狭かったので【村】の人間同士の婚姻が多かったのです。
なので、それが原因で「精神疾患」や「癲癇」などが出やすい家系も存在しました。
だから、その様な環境もあったんだという事を知っていると、
H・P・ラヴクラフトの怪奇小説の世界観を更に楽しめると思います。