はぐれの徒然なるままに(仮)

肩こりと老眼が進行中の中年男性による回顧録

金田一耕助の最後の事件について③

1975年、横溝正史は約10年ぶりに金田一耕助の新作を発表しました。

そして、その新作を執筆中に【金田一耕助シリーズ】を締めくくる為、
横溝正史は以下の様な構想をしています。
先ず『金田一耕助と等々力警部』のコンビで小説を書き、
次に『金田一耕助と磯川警部』のコンビで小説を書く。
そして、最後に『金田一耕助と等々力警部・磯川警部』が登場する小説を書いて【金田一耕助シリーズ】を締めくくるつもりでした。

その為、横溝正史は「病院坂の首縊りの家」では等々力警部を登場させ、
1978年から連載が始まった「悪霊島」では磯川警部を登場させました。
なので今回は、横溝正史がどの様な理由で【悪霊島】を構想したのか?
と、いう内容で書いてみます。

補足:「金田一耕助シリーズ」では等々力警部と磯川警部は、金田一耕助の相棒として色々な作品に登場します。



1970年代、横溝正史の【金田一耕助シリーズ】が映像化された事で、

横溝正史の小説が再び売れ始めました。
その為、横溝正史の事を取り上げる記事も増えたのですが、
記事を読むと横溝正史の紹介文に【怪奇探偵作家】という言葉が使用されている事がありました。

『なんで自分の事を【怪奇探偵作家】と記者は書いたんだ?
自分は【金田一耕助シリーズ】を探偵小説として書いてきたのに・・・』
と、考えた横溝正史はある事に気付きます。
『そうか!取材に来た記者たちの年齢は40歳前後だったな。
だから知らないんだ、昔の探偵小説を!』


1950年代【社会派推理小説】と呼ばれた推理小説が登場しました。
そして、1970年代は【社会派推理小説】全盛の時代でした。
では何故、その様な時代に横溝正史の小説が注目されたのか?
その事について、横溝正史はこの様な記述を残しています。

『今の記者たちは探偵小説=社会派推理小説として捉えているから、
推理小説怪奇小説から派生して生まれた小説という事を知らないんだ。
だから、私の小説に含まれている怪奇小説的要素を奇妙に感じるんだ!
つまり、今になって自分の【金田一耕助シリーズ】が売れた理由は、
【昔の探偵小説に含まれた怪奇小説的要素】を、
今の読者達は【横溝正史独自の世界観】と捉えているからではないか?
だったら、今度の新作は怪奇小説的要素を盛り込んだ小説にしよう!』
と、考えて横溝正史は「悪霊島」の構想に入ります。
補足:【社会派推理小説】とは『より現実的な設定で書かれた推理小説』の事。

さて今回、【金田一耕助の最後の事件】について書こうと思ったのは、

【迷路荘の惨劇】を再読したからです。
どういう事かというと、
「迷路荘の惨劇」には金田一耕助の過去を連想する演出や人物が色々と出てくるのですが、その部分が妙に自分の中でひっかかりました。
なので、当時の様子を書いた横溝正史のエッセイを読み直してみたら、
「迷路荘の惨劇」と「病院坂の首縊りの家」と「悪霊島」の関連性について色々と気付いた事があったので長々と書いてしまいました。
補足➀:横溝正史が【金田一耕助シリーズ】を締めくくる為、3つの小説を書く構想をしましたが結局3つ目の小説は書かれませんでした。
補足➁:横溝正史のエッセイでは【金田一耕助シリーズ】を締めくくる為、3つの小説もしくは4つの小説を考えていると書かれています。なので、この記事では3つの小説と決めて書く事にしました。

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*「迷路荘の惨劇」について書いた記事を貼っておきます。

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金田一耕助の最後の事件について➁

推理小説家:横溝正史の長編小説「病院坂の首縊りの家」。

この小説が連載された1975年当時、小説には【金田一耕助最後の事件】という副題がついていました。

しかし、作品発表順には1978年から連載が始まった「悪霊島」が金田一耕助最後の事件になります。

なので、今回は「病院坂の首縊りの家」に何故【金田一耕助最後の事件】という副題がついたのか?について書いてみます。

1975年、横溝正史は以前に書いた中編小説を再構成して、
約10年ぶりに金田一耕助の新作「迷路荘の惨劇」を発表します。
そして、その「迷路荘の惨劇」を執筆している時、横溝正史の元に小説の連載依頼が入ります。
しかし、当時73歳を迎えた横溝正史にとって、
小説の連載には体力的な不安がありました。そこで、彼はこう考えました。

『今、書いている「迷路荘の惨劇」みたいに、自分の過去作品をベースにして構想を練り、更に連載を1本に絞れば、今の自分でも連載ができるのではないか?』


この様に考えて横溝正史は、
自分が過去に書いた未完の小説【病院横町の首縊りの家】をベースにして、
約10年ぶりの新作【病院坂の首縊りの家】の連載に取り掛かります。
*同時期に横溝正史長編小説「仮面舞踏会」を発表していますが、今回は敢えて省略させてもらいます。

さて、横溝正史の長編小説「病院坂の首縊りの家」は前半と後半とでは時代背景が違います。
まず、前半は東京で起きた殺人事件を金田一耕助が調査しますが、
事件の真相は解明されず終了します。
そして後半からは、その事件から20年後の話になります。
なので、この小説前半では40代の金田一耕助が登場して、
後半からは60代の金田一耕助が登場します。

そして、横溝正史は「病院坂の首縊りの家」を連載している最中に、
アガサ・クリスティーの小説「カーテン」を入手して読み始めます。

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横溝正史がクリスティーから受けた影響について書いた記事を貼っておきます。


1975年に発表されたアガサ・クリスティーの「カーテン」。
この小説を読んだ時、横溝正史は驚いたと思います。
何故なら、この「カーテン」は名探偵:ポワロ最後の事件という設定の為、
小説では探偵業から引退した年老いたポワロの姿が書かれていますが、
この設定がちょうど今、横溝正史が書いている「病院坂の首縊りの家」と類似した設定だからです。
そして、【カーテン】を読んだ事で横溝正史にある変化が起きます。
その変化について、横溝正史は以下の様に記述しています。


【私はこの年老いた金田一耕助と等々力警部のコンビを書いているうちに、そぞろ無常観に打たれざるえなくなり、これ以上ふたりの老醜ぶりをさらけ出すのもいかがなものかと考え、この物語を持って金田一耕助最後の事件にしようと思いついたのである】
補足:等々力警部とは金田一耕助の相棒的な人物のひとり。


横溝正史は【迷路荘の惨劇】が完成した1975年頃から、

金田一耕助シリーズ】を3本の作品で締めくくる構想をしています。
そして、その第一弾として【病院坂の首縊りの家】は書かれましたが、
この小説は当初は中編小説の予定でした。
しかし、執筆中の横溝正史の心境の変化により、
この小説は金田一耕助の最後の姿が書かれた長編小説となり、

小説の副題に【金田一耕助最後の事件】とつけられました。
その後、横溝正史は【金田一耕助シリーズ】を締めくくる第二弾「悪霊島」の連載に入ります。なので次回は「悪霊島」について書いてみます。

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*今回の記事は横溝正史のエッセイ集「真説:金田一耕助」を参考にして書いています。

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金田一耕助の最後の事件について➀

ここ数年の事ですが、【終活】という言葉を聞くようになりました。
なので、【終活】とは具体的にどんな意味なんだ?と調べてみると、
【より良い最後を迎える為の準備を行う大切な活動】の事を【終活】というそうです。『へぇ~【終活】て、そういう意味なんだ~』と思っていたら、
ふと、「迷路荘の惨劇」という小説の事が頭に浮かびました。
なので今回は、「金田一耕助シリーズ」の長編小説「迷路荘の惨劇」について書いてみます。

 

「迷路荘の惨劇」は1975年に発表された長編小説です。
そして、この「迷路荘の惨劇」は”推理小説”というよりも”冒険小説”に近い内容だと自分は思います。しかし、今回は小説の内容ではなく、
「迷路荘の惨劇」を書いた当時の横溝正史について書いてみます。

1960年代、還暦を過ぎた横溝正史にとって、小説を連載する事が大きな負担になり始めました。
また、この当時は社会派推理小説推理小説の主流になった時代です。
その為、横溝正史は【もう、小説の連載を続ける気力も無いし、自分の推理小説は今の時代に合わない小説だ。だったら、書くのを辞めるか・・・】と決心して【金田一耕助シリーズ】を書く事を辞めてしまいます。

補足:「社会派推理小説」とは現実的な設定で書かれた推理小説であり、
松本清張や西村京太郎の小説が代表的な「社会派推理小説」として挙げられます。

しかし、それから10年近く経った頃、ある変化が起きます。
それは、映像化された【金田一耕助シリーズ】の影響で横溝正史推理小説が再び売れ出した事です。

その当時の心境を、横溝正史は以下のように記述しています。

【世間から忘れ去られてしまったと思いこんでいた私の絵空事探偵小説が、どういうわけか若い人たちに熱烈に支持されているとわかってきたので、
そのご厚志にむくいるためにも、一編でも多くの作品を残しておこう】


そして、約10年ぶりに金田一耕助を書く事にした横溝正史は、
過去に書いた中編小説「迷路荘の怪人」を推敲して書き直します。
そして、推敲をしている時の心境を以下の様に記述しています。

【昭和49年(1974年)の夏から翌年の春にかけて、

その仕事に没頭して尻すぼみだった中編物を、長編として洗い上げ、
縫い直して、題も「迷路荘の惨劇」として刊行したが、
締め切り地獄に責め苛まれることもなく、たいへん楽しい仕事であった】

そして、この【迷路荘の惨劇】を書いた事がきっかけとなり、
横溝正史は【金田一耕助最後の事件】を書き始める事になります。
なので、次回はその事について書いていきます。

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*今回の記事は「迷路荘の惨劇」と横溝正史のエッセイ集「真説:金田一耕助」を参考にして書いています。

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祭礼用の額制作⑦

前回の記事から引き続き、額の制作過程を記録していきます。

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*前回までの制作過程の記録を貼っておきます。

まず、【糸鋸】を使用して切り抜いた枠板に【ノミ】を使用して形を作っていきます。そして、【ノミ】である程度の形を作ったら、
今度は【小刀(彫刻刀の1種)】を使用して形を整えていきます

*「小刀」のサンプル画像を貼っておきます。

 

上の画像を見ていただければ解ると思いますが、
【ノミ】を使用した箇所は削った跡がついたままの状態です。
なので【小刀】を使用して、その跡を消す様に彫刻をします。

こちらが【ノミ】で削った跡を消す様に彫刻した状態です。
(所々膨らんだ部分がありますが、その部分は後で削ります。)

そして、現時点は自身の空き時間を利用して、
この作業を進めている状況です。
補足:自分が制作している【祭礼用の額】は、
神社などで使用されている額を参考にした、自分なりの作り方で制作した物です。


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自分にとって印象的な「レイ・クロック」のエピソード。

*今回の記事は、この書籍を参考に書いています。


マクドナルドの創業者:レイ・クロック。
彼に関するエピソードで、この様な話があります。
レイ・クロックがある大学で講義をした時、
講義を聞いていた学生達に、
【私の会社が何を取り扱かっているか知っていますか?】と質問しました。

その質問に対して学生達は【ハンバーガーですよね?】と答えます。
すると、レイ・クロックは、
【いえ、私の会社が取り扱っているのは不動産です】と返答したのです。

何故、マクドナルド創業者:レイ・クロックはこの様な発言をしたのか?
今回は、この発言に関する自分の妄想を書いてみます。


マクドナルド創業者:レイ・クロック画像。

マクドナルドが新規出店をする時、出店場所の候補地を調査をしますが、
その調査の時に重視したのは土地の地価でした。
そして、”マクドナルドが出店する事で、その土地の地価が上がる”と判断した場所に新規出店をしました。
何故、マクドナルドがこの様な方法を選んだかというと、
それは、お店が損失を出した時に損失をカバーする為でした。

入念に調査を行って、売り上げの想定をして新規出店をしても、
その店舗の売り上げが伸びない場合があります。
その為、売り上げが伸びない店舗は処分されますが、
出店前より土地の地価が上がっていれば、土地を売却する事で出店した元手を回収する経営をしていました。
そして、この様な経営をマクドナルドが出来たのは、
【出店する場所をしっかりを調べて、尚且つ、想定通りにいかない場合】を考えていたからです。そして、これは投資にも言える事だと思います。
補足:マクドナルドの新規出店の基準については「レイ・クロック自伝」の内容を自分なりに解釈した文章です。また、この経営方法はレイ・クロック時代の物であり、現在のマクドナルドとは関係ありません。

投資には色々な投資がありますし、その投資ごとに色々な手法があります。
でも、共通して言える事は投資に絶対はありません。
だから、自分の想定とは異なる方向に動いて損失が出た時、
どの様に動くかを考えておく事が投資だと自分は思います。
さて、レイ・クロックの大学でのエピソードは、
自分にとって印象的な話だったので、今回の記事に使用したのですが、
このエピソードが何の本に書かれていたかを忘れてしまいました。
う~ん・・・あのエピソードは、どの本に書かれていたんだ?。


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【名古屋テレビ塔】に始めて行った時の思い出。

自分は以前に「名古屋テレビ塔」の事を記事にしたのですが、
その記事を書いている時、自分が始めてテレビ塔に行った時の事を思い出しました。なので、今回はその事について書いてみます。

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*自分が「名古屋テレビ塔」について書いた記事を貼っておきます。


この話は今から約35年前、自分が小学6年生の時の話です。

自分が通っていた小学校には高学年になると【課外授業】という行事があり、内容としては公共機関を利用して目的地に向かう遠足的な行事でした。
その為、【課外授業】が行われる日の2週間ぐらい前に、
担任の先生から何ヵ所か場所が提案されました。
そして、クラスの中で多数決を取った結果、
【課外授業】の行先は「名古屋テレビ塔」になりました。


そして、【課外授業】の当日。

その日は弁当に水筒、そして財布を持参して登校しました。
そして、担任の先生に引率されて「バス」、「電車」、「地下鉄」と公共機関を乗り換えて目的地のテレビ塔に向かい、テレビ塔の展望台から名古屋の街を見下ろした後、近くの公園で持参した弁当を食べてから、公共機関を利用して小学校に帰りました。

さて、何故この様な【課外授業】があったかというと、
それは自分が住んでいる地域が山間部という事が関係してきます。

どういう事かと言うと、山間部では小学校なら徒歩で通学できます。
しかし、中学や高校に通うとなると公共機関を使用して通学しなければいけません。その為、公共機関の使い方を教える【課外授業】がありました。

*補足:この【課外授業】は現在は行われていません。

さて今回、テレビ塔の記事を書いている時、
この【課外授業】の事を思い出したので書いてみたのですが、
今から約35年前の事なので細かい部分は間違っているかもしれません。
でも、自分にとっては今でも覚えている学校行事のひとつなのです。

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祭礼用の額制作⑥

*自分が制作している【祭礼用の額】は、神社で使用されている額(神社名が書かれた額)を参考にして自分なりの作り方で制作した物です。

今回の記事から、額枠部分の彫刻に入っていきます。

まずは、額枠板に型紙を当てて線を引きます。
その後、【
糸鋸】を使用して額枠板を加工していきます


*型紙を当てて引いた線に沿って板を切断中。


*【糸鋸】を使用した加工が終了した状態。


次は加工した板に「ノミ打ち」をする為、ノコギリで切れ目を入れます。

 


全部の板に切れ目を入れたら、叩きノミを使用して加工をしていきます。
その作業が終わったら、次は彫刻刀を使用した作業に入ります。


*叩きノミで加工した枠板を横から撮影。


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数年ぶりの【名古屋テレビ塔】

今月の8日、自分が入会している商工会関連の講習が名古屋でありました。
そして、公共機関を利用して講習会の会場に向かったのですが、
講習が始まる1時間前についてしまいました。
なので、講習会の会場から数分歩いた場所にある【名古屋テレビ塔】付近を散策しながら、時間を潰す事にしました。


名古屋テレビ塔】は1954年に建設された日本初の「集約電波塔」です。
そして、2019年から大規模な改修工事に入って、2020年からは観光施設として営業を始めました。
元々、自分は名古屋方面に用事がある時、テレビ塔付近を散策する事もあったのですが、改修工事後のテレビ塔に行くのは今回が初めてです。
なので、”どんな感じになったんだろ?”と思いながら散策をしました。


*【名古屋テレビ塔】正面


久屋大通公園内に【名古屋テレビ塔】は建築されている為、
テレビ塔の改修に伴い公園自体も改修されていました


テレビ塔の1階部分には、オープンテラスの形態をした飲食店が何店舗かあります。


この日は本当に天気が良かったので、テレビ塔1階に入っている【HUB】のオープンテラスで軽い食事をして時間を潰しました。
でも、ひとつ心残りがありました。
それは、こんなに良い天気なのに【ビール】が飲めなかった事です。


*【HUB】のホームページからの画像引用。

自分がお店に入ったのは月曜日の14時前後。

そして、自分以外のお客さんは5組ほど入っていたのですが、
天気が良い為、全員オープンテラスで「ビール」を飲んでいました。
ああ・・・「ビール」が美味そうだな~と思いながらも、
自分は講習会があるので飲めません・・・。
この後、何も予定がなければ「ビール」が飲めたのに・・・。

www.nagoya-tv-tower.co.jp

*【名古屋テレビ塔】のリンク先を貼っておきます。


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馳星周の「黄金旅程」紹介

小説家:馳星周(ハセ・セイシュウ)の小説「黄金旅程」。
今回は、この小説について書いてみます。

2000年代初頭の北海道。この小説の主人公である蹄鉄師:平野は競走馬【エゴンウレア】の蹄鉄を依頼されます。

この【エゴンウレア】という馬は、G1などの重賞レースに出走すると、

2着、3着には入賞するが、どうしても勝ちきれない為、
競馬ファンからは”シルバーコレクター”と評されていました。
では何故、【エゴンウレア】はレースで勝ちきれなかったのか?
それは、この馬の気性があまりにも激しい為、並みの騎手では上手く調教がつけれなかった為です。しかし、麻薬所持で服役していた平野の幼馴染でもある元一流騎手:和泉が調教に参加する事で【エゴンウレア】を取り巻く人間達のドラマが動き出します。

さて、この小説の感想としては競走馬という存在の負の側面や厳しい現実についても取り上げていますが、話全体はテンポ良く進んでいくため、
自分は楽しくこの小説を読めました。
しかし、自分に競馬の知識があれば、更にこの小説を楽しめたと思います。


【黄金の旅路のその途上。できすぎの感すらある漢字名だった。】
 馳星周「黄金旅程」より抜粋。

この小説はフィクションですが、この小説に登場する【エゴンウレア】にはモデルとなった競走馬がいます。その馬の名は【ステイゴールド】。
そして、本のタイトルである【黄金旅程】とは、この馬の引退レースである【香港ヴァーズ(海外G1レース)】出走時のゼッケン(馬名表記)からきています。そして、この引退レースで【ステイゴールド】は5年という年月を掛けてやっとG1レースで勝利します。


www.youtube.com

*【ステイゴールド】引退レースの映像を貼っておきます。

この【ステイゴールド】ほど”終わり良ければすべて良し”という言葉が似合う競走馬はいないでしょう。

そして、改めて書きますが、
この小説は自分みたいに競馬の知識が無くても楽しめる小説です。
でも、競馬が好きな人は、更にこの小説を楽しめると思います。

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祭礼用の額制作⑤

*自分が制作している【祭礼用の額】は、神社で使用されている額(神社名が書かれた額)を参考にして自分なりの作り方で制作した物です。

前回の記事では額に使用する板が歪んでいた為、その板をある程度まで加工する所まで作業を進めました。そして数日放置した結果、板の歪みが無くなったので、今回から額の枠部分の加工に入ります。

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*額に使用する板の歪みについて書いた記事を貼っておきます。


*額枠部分を【両面テープ】で仮止めした状態。
まずは、額本体の板に額枠部分を【両面テープ】で仮止めします。


*枠同士の結合部分(〇で囲んだ部分)は角度32度・切断角度20度で加工した状態。
次に枠板同士の結合部分を【電動ノコギリ】を使用して加工します。


*【電動ノコギリ】を使用した枠板加工が終わった状態。
額の枠板の加工が終わったら、枠板に切断する線を書き写します。
この切断する線を書き終えたら、次は【糸鋸】を使用した作業に入ります。
補足:自分が加工に使用した【電動ノコギリ】は正式には【昇降盤】という機械です。


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