はぐれの徒然なるままに(仮)

肩こりと老眼が進行中の中年男性による回顧録

竹島園地散策③ 「竹島弁天:由来」

*今回は、前回の記事で書いた「竹島」についての自分の妄想です。

 そして、自分には「宗教学」や「民俗学」の専門知識はありません。

 その点をご了承して、この記事を読んでいただいたら幸いです。

愛知県の三河湾に浮かぶ無人の島「竹島」。

この島の中央部にある「竹島八百富神社」には「弁財天」が祀られている為、この神社は「竹島弁天」とも呼ばれています。
でも、この神社で祀られている神は「市杵島姫命イチキシマヒメノミコト)」という日本神話に登場する神です。

では何故、【市杵島姫命】が【竹島弁天】と呼ばれる様になったのか?
今回は、その事について書いていきます。



まず、「市杵島姫命」とは、日本神話に登場する【宗像三女神】のひとりで豊漁、航海の安全を司る女神です。元々は九州地方の神でしたが水難を収める神という事で漁で生活する人々の間で広く信奉されていきました。
補足:1145年にこの地域を管轄していた藤原氏が「市杵島姫命」を迎え入れました。
次に「弁財天」とは「サラスヴァティー」という水と豊穣を司るインドのヒンズー教の神でした。しかし、仏教がインドで誕生した時、この神は仏教に組み込まれました。それから、長い時間を掛けて日本に仏教が入った時には【仏教を守護する、水と豊穣の女神:弁財天】として伝わります。
補足:古代インド人は川辺に生息する蛇を「サラスヴァティー」の使いと考えていました。
その為、蛇の身体をした「弁財天」の石仏も存在します。

つまり、この二つの女神は【水と関連する豊穣を司る女神】という共通点があった為、人々の中では同一の存在と認識される様になりました。

しかし、その現象は江戸時代に入ると変化しました。
江戸時代に入り人々の価値観が変化する事で「弁財天」は【仏教を守護する、水と豊穣の女神】から【才能と財産を司る女神】として多くの人々に認知される様になりました。

その為、今までは同一の存在として認識されていた二つの女神のうち、

「弁財天」の方が有名になってしまう事で【竹島に祀られているのは弁財天】という認識が人々の中で形成されて「竹島弁天」という存在になったのだと思います。

*補足:「竹島八百富神社」に収蔵されている掛け軸や彫像は、
「弁財天」の姿が象られており、その収蔵品は江戸時代に制作された物です。


今回、「竹島」について書こうと思った時、「竹島弁天」の事も頭に浮かんだので「竹島弁天」に関した自分の妄想を書いてみました。

そして、この記事を読んでくれた貴方にお聞きします。

【貴方の住む場所に神社はありますか?】
もし、近くに神社があるなら、そこに祀られている神様について調べてみると意外な発見があるかもしれませんよ。

*記事を読んでいただき、ありがとうございます。

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