はぐれの徒然なるままに(仮)

肩こりと老眼が進行中の中年男性による回顧録

竹島園地散策➀ 「蒲郡ホテル」

前回、以前に書いた【竹島園地】の間違いを訂正した記事を書きました。
そして、その記事を書いているうちに【竹島園地】について書いてみたくなりました。なので、今回から【竹島園地】について色々と書いてみます。

小説家:池波正太郎の「よい匂いのする一夜」という本があります。

この本は1979年から約2年間【雑誌:太陽】で連載された池波氏の随想をまとめた本です。
そして、この本には1980年代の【竹島園地】の事が書かれています。
若い時の自分は、この本の【竹島園地】について書かれた部分を読んで、
その場所に興味を持ち、休日に一人で散策に行きました。
それ以来、この場所は自分のお気に入りの散策場所になりました。
そして、自分が【竹島園地】に散策に行くと必ず立ち寄る場所が、

蒲郡ホテル」「竹島」「海辺の文学記念館」です。

なので、今回はまず「蒲郡ホテル」について書いてみます。
補足:「蒲郡ホテル」は現在「蒲郡クラッシックホテル」の名称で営業していますが、
    この記事では敢えて「蒲郡ホテル」の名称を使用しています。



*ホテル駐車場からホテルを撮影。


*ホテル正面玄関。


*ホテル二階のテラスから「竹島」を撮影。

このホテルについて簡単に説明します。
1912年に名古屋の繊維会社が【竹島園地】の海辺に和風旅館「常盤館」を建てました。それから数年後、その会社がアールデコ形式を採用したホテルの建築を開始します。そのホテルは1934年に完成して「蒲郡ホテル」の名称で営業が始まります。

当初、名古屋の繊維会社は2つのホテルの経営にも携わっていましたが、

時代の変化により、この会社は「常盤館」と「蒲郡ホテル」を手放します。

そして、【常盤館】と【蒲郡ホテル】は、それぞれ別の持ち主の手に渡る事になりました。
先ず、【常盤館】は市の所有になり、その場所は今は【常盤苑】という場所になりました。一方、【蒲郡ホテル】の方はプリンスホテルグループに売却されて【蒲郡プリンスホテル】と名称が変更されて営業を続けました。

しかし、約10年前に経営する会社が変わった事で経営内容が変わり、
現在は【蒲郡クラッシックホテル】として営業しています。

このホテルは、経営者が変わる度に経営内容が変化しましたが、
建物自体は建築された当時のままです。
そして、自分はホテルが歩んできた経緯に時代の流れを感じます。
だからこそ、このホテルに自分は立ち寄ってしまいます。

*「蒲郡クラシックホテル」のリンク先を張っておきます。

gamagori-classic-hotel.

*記事を読んでいただき、ありがとうございます。

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