はぐれの徒然なるままに(仮)

肩こりと老眼が進行中の中年男性による回顧録

「映画」について徒然と書いてみた➀


数年前、知り合いと以下の様な会話をしました。
そして、その会話が今でも頭の片隅に残っています。
なので先ずは、その事について書いてみます。

『はぐれ君、この前ね、職場の人達との食事会があったんだよ。
それでね、その食事会には4月から入社した20代の子達も何人かいたんだけど、あの子達ね、食べないんだよ【山菜】を・・・』
『うん?どういう事?』
『あのね、食事会で利用したお店というのが、季節の食材を使った料理を出すお店でね、その時は色々な【山菜】が採れる時期だったから、【山菜】を使った料理が複数あったんだ。でもね、その若い子達は【山菜】をひと口は食べるんだけど、その後は全然食べないんだ・・・』
『ふ~ん、ちなみにその子達は何が食べれなかったの?』
『え~と、先ずは小鉢に入っていた「土筆の佃煮」や「もみじがさのお浸し」だね。後は「ふきのとう」や「こしあぶら」の天ぷらも駄目だったな~。だからね、その子達に「何で食べないんだ?」て聞いたんだよ。そしたら「山菜が苦すぎて食べれません」て言うんだ・・・』
『え?でも、20代の子達なんでしょう?そんな子達が「山菜、苦いから食べれない」なんていう?子供じゃあるまいし・・・』
『うん。でもね、自分達は子供の時から【山菜】を食べていたよね?』
『そうだね。「季節の物だで食べりゃ~」て言われて食べたけど、そんなに美味しいものでもなかったよね~』
『そうそう。だけど大人になったら普通に【山菜】を味わえる様になったよね?だからね、多分だけど入社した子達はそういう経験をしてこなかったんだよ。だから、大人になっても【山菜】が食べれなかったんだよ・・・』
と、こんな話を知り合いとしました。
そして、その会話をした後に自分はこんな妄想をしたのです。

【知り合いの会話に出てきた20代の子達は、子供の時に【山菜】を食べた事が無かった為、【山菜】の苦みや香りを味として認知出来なかった。
だから、【山菜】を食べた時に『何だこれ?苦いだけじゃん!』と感じて食べる事が出来なかった。でも、これって映画でも同じことがいえないか?】

『あれが娯楽、これが芸術と区別する必要がない。
映画はすべて広い意味で芸術である。しかし、前衛映画という言葉があるがごとく、映画にも感覚を必要以上に押し付けた映画もある。なにも必要以上に押し付けなくともと言われそうだが、その必要以上が感覚を更にするどく盛り上げるからである』
淀川長治著:「シネマパラダイス」より抜粋。


映画評論家:淀川長治氏(画像はネットより引用)
さて、映画には色々なジャンルがあり、
その中には映画監督の世界観を反映した「前衛映画」と呼ばれる映画もあれば、映画評論家が評価する「名作映画」と呼ばれる映画もあります。
そして、この手の映画を何本も見ると淀川長治氏の文章にある【感覚を更にするどく盛り上げる】という部分も理解が出来る様になります。
ですが、この「前衛映画」とか「名作映画」と呼ばれる映画は人に勧めにくい映画でもあります。
なので、次回は【女の都】という映画を例に出して、
淀川長治氏の文章にある【感覚を更にするどく盛り上げる】とは具体的にどういう事なのか?』と、
『【前衛映画】と【名作映画】と呼ばれる映画を人に勧めにくい理由』
について書いてみたいと思います。


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