ロシアの文豪:トルストイが書いた短編小説「光あるうち光の中を歩め」。
この小説は本来、神の教えを知る事で、人の心に平穏がもたらされる。
という内容を寓話的に書かれた小説です。
しかし、小説の葡萄畑の場面に、自身の投資経験を重ねてしまうのです。
まずは、この葡萄畑の場面について簡単に説明します。
小説の主人公である「ユリウス」という老人がキリスト教に入信します。
そして「ユリウス」は入信と同時に、教徒達の共同体で生活を始めます。
その共同体の指導者から「ユリウス」は、
葡萄を収穫する仕事を任命されました。彼は葡萄畑へ向かいますが、
立派な葡萄畑には、若いキリスト教徒達が沢山いた為に、
「ユリウス」は葡萄を収穫する事が出来ませんでした。
葡萄を収穫できる場所を探し続けた「ユリウス」は、
老いたキリスト教徒しかいない、痩せ干せた葡萄畑にたどり着きます。
そこで彼はこう思いました。
「ああ、若い時に入信していれば、自分は向こうの立派な畑で働けたのに」
その時、老いたキリスト教徒が瘦せ干せた葡萄畑の葡萄を見せて、
「ユリウス」に語り掛けてきました。
「なあ、見てごらん。これらの房はあちらの畑で採取されている房より、
どこがいったい悪いだろう?」
この小説では、若い時に入信した人には、立派な葡萄畑が用意されました。
もし、年老いた【ユリウス】が立派な葡萄畑に入れたとしても、
若いキリスト教徒達にかなうはずもなく、葡萄は収穫できないでしょう。
しかし、瘦せ干せた葡萄畑でも、葡萄を収穫できたのです。
投資も同じだと思います。若い時から投資をする事で、
配当利回りや売却益などで、資産形成ができます。
でも、始める時期が遅くても、投資の機会はあると思います。
重要なのは、先行者の真似をするのではなく、
自分の判断と現状を把握して、
何に投資をするか?と考える事だと思います。