はぐれの徒然なるままに(仮)

肩こりと老眼が進行中の中年男性による回顧録

「快楽殺人者」と自分は相性が悪い

自分は推理小説は好きですが、相性が悪い物もあります。
それは「快楽殺人者が犯人」と「密室トリック」です。
なので、
快楽殺人者が犯人の推理小説が何故、自分と相性が悪いかを書きます。

まず、快楽殺人者は殺人に対する罪悪感がないからです。
推理小説に登場する犯人に罪悪感がないと、
トリックの存在意義がありません。
そもそも、推理小説に登場する犯人は何故、トリックを使うのでしょうか?
当たり前の事ですが、殺人事件の犯人として捕まりたくないからです。
【例え】
人物Aは人物Bに殺意を抱いています。周りの人間も知っています。
その状況で人物Bが殺されたら、誰が疑われますか?もちろん人物Aです。
だから人物Aは、疑いが来ない様に、色々と考えて行動に移します。
それがトリックであり、推理小説の主題になるわけです。

あと、動機の違いもあります。
推理小説では【犯人が何故、その人物を殺したいのか?】
という動機が必要になります。
そして、関係者同士の人間関係により様々な動機が生まれます。

推理小説の主人公は、殺人事件が起きると以下の点を調査します。
・誰が被害者を、殺害できる機会があったか?
・誰が被害者に対して、殺害する動機があったか?
主人公は、この2つを持ち合わせた人物が犯人だと特定します。
そして犯人は、その2つを隠すためにトリックが必要になります。

では、快楽殺人者の場合はどうでしょうか?
快楽殺人者の動機は、【共通点がある人物を殺害する事】
なので殺害動機が、被害者同士の共通点しかありません。
被害者同士の隠れた共通点だけを探す為、主人公は捜査をします。
なので、快楽殺人者は別にトリックを必要としません。
<:共通点の例:若い女性・かかりつけの病院・過去で同じ職場など>

自分は推理小説の主題はトリックだと考えます。
でも快楽殺人者が犯人だと、トリックの必要性がないので、
推理小説として、主題があやふやな感じを受けるのです。
これが「快楽殺人者が犯人」と自分は相性が悪い理由ですね。

ただし、「盲獣」と「羊たちの沈黙」という作品は別です。
この作品に出てくる殺人者たちについては、別で書きたいと思います。