はぐれの徒然なるままに(仮)

肩こりと老眼が進行中の中年男性による回顧録

金田一耕助の最後の事件について➀

ここ数年の事ですが、【終活】という言葉を聞くようになりました。
なので、【終活】とは具体的にどんな意味なんだ?と調べてみると、
【より良い最後を迎える為の準備を行う大切な活動】の事を【終活】というそうです。『へぇ~【終活】て、そういう意味なんだ~』と思っていたら、
ふと、「迷路荘の惨劇」という小説の事が頭に浮かびました。
なので今回は、「金田一耕助シリーズ」の長編小説「迷路荘の惨劇」について書いてみます。

 

「迷路荘の惨劇」は1975年に発表された長編小説です。
そして、この「迷路荘の惨劇」は”推理小説”というよりも”冒険小説”に近い内容だと自分は思います。しかし、今回は小説の内容ではなく、
「迷路荘の惨劇」を書いた当時の横溝正史について書いてみます。

1960年代、還暦を過ぎた横溝正史にとって、小説を連載する事が大きな負担になり始めました。
また、この当時は社会派推理小説推理小説の主流になった時代です。
その為、横溝正史は【もう、小説の連載を続ける気力も無いし、自分の推理小説は今の時代に合わない小説だ。だったら、書くのを辞めるか・・・】と決心して【金田一耕助シリーズ】を書く事を辞めてしまいます。

補足:「社会派推理小説」とは現実的な設定で書かれた推理小説であり、
松本清張や西村京太郎の小説が代表的な「社会派推理小説」として挙げられます。

しかし、それから10年近く経った頃、ある変化が起きます。
それは、映像化された【金田一耕助シリーズ】の影響で横溝正史推理小説が再び売れ出した事です。

その当時の心境を、横溝正史は以下のように記述しています。

【世間から忘れ去られてしまったと思いこんでいた私の絵空事探偵小説が、どういうわけか若い人たちに熱烈に支持されているとわかってきたので、
そのご厚志にむくいるためにも、一編でも多くの作品を残しておこう】


そして、約10年ぶりに金田一耕助を書く事にした横溝正史は、
過去に書いた中編小説「迷路荘の怪人」を推敲して書き直します。
そして、推敲をしている時の心境を以下の様に記述しています。

【昭和49年(1974年)の夏から翌年の春にかけて、

その仕事に没頭して尻すぼみだった中編物を、長編として洗い上げ、
縫い直して、題も「迷路荘の惨劇」として刊行したが、
締め切り地獄に責め苛まれることもなく、たいへん楽しい仕事であった】

そして、この【迷路荘の惨劇】を書いた事がきっかけとなり、
横溝正史は【金田一耕助最後の事件】を書き始める事になります。
なので、次回はその事について書いていきます。

haguture.hatenadiary.jp

*今回の記事は「迷路荘の惨劇」と横溝正史のエッセイ集「真説:金田一耕助」を参考にして書いています。

 *記事を読んでいただき、ありがとうございます。
 只今、グループの新機能「ランキング」に参加をしているので、
 お手数ですが上記バナーをクリックをしていただけると励みになります。