第2作目の「獄門島」によって、その世界観が決まったと思います。
なので今回は、その当時の横溝正史について書いてみます。
「本陣殺人事」を書く以前の横溝正史は、
しかし、ディクスン・カーの小説を読んだ事で、
「現実と非現実が合わさった設定でも推理小説は成立する!」
と考え始めて「本陣殺人事件」の構想を練り始めました。
それから暫くして「本陣殺人事件」を連載中の横溝正史の手元に
アガサ・クリスティーの「そして誰もいなくなった」が届きました。
そして、その小説を読んで横溝正史は驚きました!
「孤島に隔離された10人、マザーグースの歌詞に見立てた殺人、
なんて面白い小説だ!クリスティーはこんな小説も書いていたのか・・・」
今から約80年前の1940年代。
日本国内では海外の推理小説はあまり流通されていませんでした。
なので、この【そして誰もいなくなった】を読むまで横溝正史は、
【嵐の山荘】と【見立て殺人】という設定を知りませんでした。
そして、この2つの設定は横溝正史の創作意欲を大いに刺激します。
その結果、誕生したのが1947年から連載が始まった「獄門島」でした。
捕捉:「嵐の山荘」=外部との連絡もとれない、閉じられた空間で事件が起きる設定の総称。
「見立てた殺人」=犯人が何らかの意図で殺害現場に細工する事の総称。
「そして誰もいなくなった」で使用された【嵐の山荘】と【見立て殺人】。
この2つの設定を使用して横溝正史は「獄門島」を書きました。
しかし、【見立て殺人】の設定をもっと効果的に使えなかったのか?
と、横溝正史は考えました。
そして、その考えから生まれたのが「悪魔の手毬唄」でした。
もし、クリスティーが【そして誰もいなくなった】を書かなかったら、
【金田一耕助シリーズ】の世界観を決定した【獄門島】も存在せず、
横溝正史中期の傑作【悪魔の手毬唄】も存在しなかったのでしょう。
そう考えると、何か運命的な物を感じます。
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