はぐれの徒然なるままに(仮)

肩こりと老眼が進行中の中年男性による回顧録

「フェアじゃない、アンフェアだ!」て夫婦喧嘩と似ている気がする⑥

アガサ・クリスティー
オリエント急行殺人事件」と「アクロイド殺人事件」は当時
(1900年代前半)「フェアじゃない、アンフェアだ!」と批評されました。
だけど、この作品により推理小説の世界は救われたと思います。

何故なら、フェアな推理小説の「起承転結」は、
小説家にとって束縛になり始めたからです!

ここではわかりやすく「読者への挑戦状」を例に出します。
1作目の「読者への挑戦状」の作品
起「事件がおきる」➡承「主人公登場、捜査開始」➡転「証拠が集まり、関係者のアリバイが把握される」➡結「証拠とアリバイを元に犯人を割り出す」
2作目の「読者への挑戦状」の作品
起「事件がおきる」➡承「主人公登場、捜査開始(新たな登場人物追加)」
➡転「証拠が集まり、関係者のアリバイが把握される(複雑化した人間関係)」
➡結「証拠とアリバイを元に犯人を割り出す」

小説家は1作目と2作目の違いを出すため、
起承転結の承と転の部分に追加要素を足さねばいけません!
これが3作目、4作目となったらどうなるでしょう?
ますます承と転にまた追加要素を足すでしょう!
そうすると逆に削られる部分が出てきました。それは「人物描写」でした。
「人物描写」が削られる事により、主人公も登場する人物も、
そして、犯人の動機も何か物足りない感じになりました。

何故、「起承転結」が束縛になったと考えるのか?
それは「読者への挑戦状」という手法の第一人者のエラリー・クイーンは、
その手法を後年、使用しなくなったからです!
エラリークイーンは1930年代から別名義で4つの作品を書きました。
その4つの作品には「読者への挑戦状」は使用してません。
そして、エラリークイーン名義で出した1940年代からの作品にも、
「読者への挑戦状」は使用されませんでした。
その代わりに、主人公の苦悩、憔悴、焦りなどを描写する様になり、
事件の不可解さ、不気味さ、そして犯行動機の異常な点を描写する様になりました。

ここで取り上げた作品達は1900年代前半に書かれた物です。
当時の事など、誰もわからないでしょう・・・
だから、自分はこんな妄想をしてしまうのです・・・

Yの悲劇

九尾の猫

オリエント急行殺人事件 (角川文庫)

アクロイド殺害事件 (創元推理文庫)