はぐれの徒然なるままに(仮)

肩こりと老眼が進行中の中年男性による回顧録

クリスティーの「ゼロ時間へ」再読

推理小説には【密室トリック】や【アリバイ・トリック】など様々なトリックが存在します。

そして、推理小説家がトリックを使用する理由は色々ありますが、

【小説を読んだ読者へのミスリード】が目的の場合もあります。
*ミスリード(mislead)とは英語の「人の誤解を招く」「判断を誤らせる」「人を欺く」という意味。

1944年に発表されたクリスティーの小説「ゼロ時間へ」。

この小説で起きる事件を簡単に説明すると、

資産家の老婦人の元に関係者が集まり、そして事件が起きるという話です。
しかし、小説は関係者が集まる数ヵ月前の場面から始まります。


【「あらゆるものが、ある1点にむかって集中しているのだ・・・。

そして、その時がやってくると・・・爆発するのだ!ゼロ時間!そうだ、
ありとあらゆるものが、このゼロ時間の1点に集中されている・・・」

彼はもう一度くりかえした「ゼロ時間へ・・・」

そして、かすかに身をふるわせた。】
                  アガサ・クリスティー「ゼロ時間へ」から抜粋。

この文章は小説の冒頭部分の「序章」で書かれている文章です。
そして、次章「ドアをあけると、人がいる」という題名の章では、

クリスティーは老婦人の元に集まる人達、殺人犯、捜査する刑事達それぞれのエピソードを書いています。そして別荘に関係者が集まる日になります。

自分は、この小説を始めて読んだ時には気付かなかったのですが、

再読してみて、やっとクリスティーの意図に気付けたと思います。

それは、この「序章」と次章「ドアをあけると、人がいる」の部分こそが、

「ゼロ時間へ」でクリスティーが使用したトリックだったんです。

どういう事かというと、

小説内で起きた殺人事件にも単純なトリックは使用されています。

でも、クリスティーが使用した本当のトリックは小説内では登場しません。
何故なら、この小説で使用された本当のトリックとは、

この【ゼロ時間へ】を読んだ読者に向けて使用されているからです。


自分がこの「ゼロ時間へ」を始めて読んだ時は、

そこまで印象が残らない作品でした。
何故なら、話の展開が少々都合が良すぎる場面もありますし、

結末も少し弱いと感じたからです。

でも、再読した時にクリスティーがこの小説で何を意図していたのか?

と気付く事で作品の印象が変わりました。
【ゼロ時間へ】という小説は、

クリスティーが読者に向けて使用したトリックの受け取り方によっては、

作品の評価が分かれる小説だと自分は思います。