はぐれの徒然なるままに(仮)

肩こりと老眼が進行中の中年男性による回顧録

横溝正史の「真珠郎」再読の再編集

*自分が以前に書いた【真珠郎:再読】の記事を読み直してみると、

 この小説に関して色々と説明不足な点があると感じました。

 なので、以前に書いた記事に補足部分を付け足して書き直してみました。

推理小説のトリックで一人二役」と「顔の無い死体」というトリックがあります。
*【一人二役】=人物Aが実は人物Bだったという設定。
*【顔の無い死体】=顔の損傷が酷い死体が見つかり所持品から人物Aと判断したが、
  実は死体は人物Bだったという設定。

ただし【一人二役】と【顔の無い死体】というトリックは、
単品では使用されません。この2つのトリックは調合され、
作品の至る所に配置されて、結末で回収されます。
横溝正史は、この2つのトリックの調合が本当に上手で、
映画化された有名な作品でも使用されてます。
この「真珠郎」は横溝正史の作品の中では、知名度はあまりないですが、
横溝正史が「一人二役」と「顔の無い死体」という2つのトリックを、
横溝正史の世界観らしく調合された中編小説です。
そして、後の金田一耕助シリーズに繋がる作品だと自分は思います。

さて、横溝正史は2人の探偵を創作しました。

ひとりは探偵:由利鱗太郎。そして、もうひとりは探偵:金田一耕助です。

そして、この「真珠郎」では探偵:由利鱗太郎が登場する為、
この小説は「由利先生・シリーズ」として分類されています。

しかし、【真珠郎】は他の【由利先生・シリーズ】の小説と比較すると違う点がひとつあります。

それは、探偵:由利鱗太郎が物語の終盤に登場する点です。
では、何故、横溝正史はその様な書き方をしたのかを妄想してみます。

これは、横溝正史自身が明言していますが、
1930年代当時、横溝正史は自身が書きたい小説の世界観と自分の文体は推理小説には合わないと考えていました。
その為、【由利先生・シリーズ】は横溝正史が書きたい小説の世界観と自分の文体をあえて抑制して書いていたと思います。
でも、この【真珠郎】では事件が起きても探偵は登場しません。
その為、この小説は冒頭から横溝正史が抑制してきた怪奇小説的な世界観とおどろおどろしい彼の文体で話が展開しています。
そして、物語の終盤で探偵:由利鱗太郎が登場して事件の伏線回収をして物語は終わります。
つまり、横溝正史は敢えて探偵を最後の方に登場させる事で、

自身が苦手な推理小説的部分を減らして、

逆に自身が得意な怪奇小説的部分を前面にだして「真珠郎」を書きました。
そして、この時の経験と海外の推理小説から刺激を受けた事で、

探偵:金田一耕助が誕生したと自分は考えています。


横溝正史が海外の推理小説から、どの様な影響を受けたかについては、 
 自分が以前に書いた記事を張っておきます。

haguture.hatenadiary.jp

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